セイケン~自分を成長させるための研究レポート~

今よりも1歩だけ成長していくために行ったことを記録しています

過信と自信

バク宙キックで板を割れなかった。

知り合いから、「今度、テコンドーの演舞で板割りやるから、バク宙で板、割ってくれない?」という誘いがあった。

もともとバク宙はできたので、「いいですよ!」と安請け合いをした。

テコンドーとかやったことがないけど、板に足を当てるだけだし大丈夫だろう、

と、たかをくくっていたが、いざ実際にやってみると、

当てるどころか板にかすりもしなかった。

 

過信と自信を勘違いしていた。

バク宙しながら蹴りを出す技を「フラッシュキック」というが、それは昔から練習していたので、今回の板割りも簡単にできるだろうと、自分を過信していたのが大きな間違いだった。

 

ちょっと言い訳くさいが、最近、足を怪我していたため、練習がおろそかになっていたのもできなかった原因の1つだ。

しかし、根本的に的(板)に当てるという練習をしてこなかったので、できないのは当然である。

それに、人の真横を助走技であるロンダートで勢いよく通過しながら、その勢いを使ってバク宙で板を蹴るという構図になるため、「人に当たったらどうしよう」とか「板の位置を確認して、バク宙の踏み切り位置を計算する」といった心理的圧迫感も実際にやらなければわからなかったことだ。

 

その動作と環境になれることが重要だ。

普段、歩いている道を間違えることが無いのと同じように、やはり、その動きや環境に慣れることがはじめは大切だろう。

緊張していたり、慣れない環境だと普段のパフォーマンスが発揮できないことがよくあるはずだ。

 

俗にいう、「枕が変わると眠れなくなる現象」と同じ心理状態である。

 

人はリラックスしているほど、ベストなパフォーマンスが発揮できるので、まずはその動作と環境、条件になれる練習をするのがいい。

今回だと、「バク宙で人が持っている板を割るというのを大勢の前で披露する」というのが条件だから、それを想定した練習が必要である。

 

これは普段の生活でも同じで、何か新しいことを始めて、成果を出していくにはしっかりと継続していくのが基本である。

継続するには、自分が続けられる条件を見つけて習慣にするしかない。

 

それが慣れるということだ!

 

基礎になる動作を徹底的に練習する。

板を割ることができなかった大きな原因は、基礎となる動きが弱かったからだ。

また、それを行うにあたっての状況を想定した練習も必要になってくる。

 

今回の「バク宙で板を割る」を実現させるためには、「人に板を持ってもらった状態で、人の真横をいつも通りのバク宙で跳んで板を蹴る」というのが条件になってくるから、「人の真横でバク宙をする練習」や「目標物をバク宙で蹴る練習」を行っていこうと思う。

 

その中には単純で地味な練習や作業も出てくるだろうが、そういった小さな基礎を積み上げることが、結果を出すためには必要なことなのだ。

それは普段の生活の中でも言えることである。

一度、基礎を見直してみるのもいいかもしれない。

経験はもろ刃の剣

興味本位で見た画像が頭から離れない。

それはグロテスクな画像ではなかったが、

人が痛い目に遭っているようなそんな画像だった。

たまたま調べ物でネットを漁っているときに、つい見てしまったその画像のことがどうも頭の中からなかなか離れてくれない。

僕にとってその画像は生理的に受け付けれるものでは無かったためか、嫌な気持ちだけが後を引いて、ちょっとしたときに思い出しては気分が悪くなってしまう。

 

経験が必ずしもプラスになるとは限らない

よく聞く言葉で、「何事も経験することが大切」というのがある。

子供の頃や学生の時には、親や先生からそんな言葉で丸め込まれたものだ。

 

今になってその言葉に疑問を覚えるようになった。

「本当に経験することがそんなに大切なのか?」と。

 

たしかに、全く何も経験しないのは自分の成長を止めてしまう行為なのでよくないが、ここで言いたいのは、「自分が嫌だと思っていることを無理に経験する必要があるのか?ということだ。

 

例えば、「高いところが苦手」だとする。

しかし、他人に進められてバンジージャンプをすることになってしまった場合、無理やりバンジーをする必要があるのかということ。

ここで無理に飛んだところで、その先に何が待っているというのか。

 

自分自身で決めて、自らの意思でバンジーを飛ぶのならその経験は間違いなくプラスになるだろうが、他人から無理やり嫌なバンジーをさせられても、楽しくもなんともないし、恐怖と嫌悪感しか残らないのではないだろうか。

 

そんな思いをしても、無理にでも経験することが大切だと本当に言えるのか疑問なところである。

 

その経験を活かすなら工夫が必要

つまりはとらえ方次第なのだが、ネガティブな経験をどのようにプラスに変えるのかということだ。

先ほどのバンジージャンプを例に考えてみると、他人から無理やり嫌なバンジーをさせられた場合、あとに残るのは恐怖心と嫌な思い出だけだと思う。

 

仮にこの経験をどう活かすか考えてみると、

・2度とバンジージャンプはしない

・この人からの誘いは断るようにする

バンジージャンプの安全性について調べてみる

バンジージャンプよりも面白いものを提案してみる

などといった具合に試行錯誤すると、バンジージャンプという嫌な経験を自分の糧にすることができるようになる。

 

つまり、嫌な経験をしたとしても、「何が嫌なのか」「解決策はあるのか」「これからどうするのか」といった具合に思考を巡らせることができれば、嫌な経験が嫌なままで無くなってくる。

 

嫌な経験を、ただ感情のままに放置すると、嫌悪感や劣等感だけが残ってしまうので、そういった経験しかできないのなら経験しない方がましだと思う。

 

物事を多方面から考える力を身に付ける

「何事も経験することが大切」というのを本当に大切にするならば、経験するだけじゃなく、「その経験をどう活かすのか」までしっかりと考え、試していかなければならない。

自分にとってベストな答えというのは、自分でしかわからない。

他人が好きなことが、自分にとってはとてつもなく嫌なことが世の中には溢れている。

その中で、良い経験も悪い経験も生きていればたくさんするだろう。

そんな時に、ただ感情のままに思うのではなく、「どうすれば自分にとってプラスにできることがあるかな?」と思考を常に巡らせる習慣をつける必要がある。

 

そうすればどんな経験も自分を1歩ずつ成長させてくれるものにできるはずだ。

 

ただありのままを受け入れるだけでは、自分の望む人生は手に入らない。

とらえ方次第では嫌な事でもプラスにできる

僕にとっての嫌なことは、自分のペースを崩されてアレコレやってと言われることだ。

基本的にはスケジュールをある程度決めて、作業や仕事に取り組んでいるので、

突然「明日~しようよ」みたいな誘われ方をすると、どうしても嫌になってしまう。

 

こうなると結構なストレスになるので、基本的に人と約束はあまりしないようにしたり、もしくはかなり前から約束をしてスケジュールに組み込むようにしている。

それでも、突然「明日、空いてる?」みたいなことを言われる時があるので、そういったときはほとんど断ることが多い。

 

しかし、ここであることに気がついた。

 

ここで突然言われたことを優先させて人に会うとしたら、それまでに優先させて終わらせる作業やその人に会うことで得られることがたくさんあるんじゃないか?と。

つまり、突然入ってきた予定にスケジュールを狂わされて生産性が落ちるように感じているが、逆にその予定が入ってきたことによって優先させるべきことが選別できるようになるんじゃないかということ。

 

実際に、その予定が入ってからどうするかということをずっと考えていたが、その予定を受けたとしても得られるメリットはたくさんあった。

 

例えば、「1時間で終わらせなければいけない作業」があったとして、結果的に作業を終わらせるのに1時間30分もかかったとする。

はじめは1時間で終わらせる予定だったから、その後にご飯を食べに行くとか、ゆっくりとテレビを見るとか、恋人とデートをするとか、そんな感じで予定をあらかじめ立てることが多いと思う。

しかし、実際は30分も予定がずれてしまい、予定していたことが上手くできない事態になってしまったとしよう。

こうなると、普通は「くそ!こんなにも時間かかって、この後何もできないじゃないか!」みたいにイライラしてしまう。

そこで、「30分ずれてしまったから、だったら明日の分もやってしまって、明日を休みにしよう!」みたいに臨機応変に予定を変えてしまうことだ。

そうすると、時間に追われるというストレスから解放され、明日は心置きなく休みを満喫できるようになったりする。

 

何が言いたいのかというと、「どんなに嫌な事でもとらえ方次第ではプラスにできる」ということである。

 

外食に出かけたが行列で1時間待ちの状態だったら、違うところで食べてもいいし、普段は頼まない出前を取って家で食べてもいい。

そうすれば、時間を節約できたり、余計な出費をしなくてもいいかもしれない。

もしかすると、予定していたところで食べるよりもおいしい料理を食べることができるかもしれないし。

他のことでも、とらえ方次第ではプラスにできるようなことはたくさん思い浮かんでくるはずだ。

 

崩れた予定だったり、突然の事態を嘆くのではなく、「何かプラスにできるようなことはないかな?」と思考を巡らせる癖をつけると、柔軟に物事をとらえることができるようになると思う。

 

頻繁に予定を狂わさられるとしても、だったらそうなってしまう原因と解決策が何かあるはずだから、いろいろ思考を巡らせて、ちょっとでもプラスに変換できる力を身に付けることができるようになれば、どんなことにも対応できるようになるはずだ。

知っていることでも改めてみると新しい発見がある

最近、動画作成の本を読んでいる。

動画作成を仕事にしているので、ちょっとでもクオリティを上げるためにいろいろ勉強しているところだ。

 

しかし、動画を作る方法を勉強したのは、ネットで調べたのが最初だった。

 

ネットの情報なので、正しいものも間違っているものもあると思う。

だが、とりあえず最初は試しで作り始めてみて、慣れてきたらちょっとずつできることを増やしていった。

そこで限界を感じたので、新たに動画作成の本を購入して読んでいるわけだ。

 

読み始めて思ったのは、「ネットの情報とあまり大差がない」ということ。

 

こうなると、本を買ったのは損だったかな?と思ってしまいがちだが、しっかりと読んでいると、知っている情報の中にも改めて気づかされることがある。

ネットの情報には載っていない細かなことや、独学では気づかなかったちょっとしたテクニックなど、知っている内容でもしっかりと読むことで、今まで気づかなかった新たな知識が手に入ることがあるのだ。

 

これは、同じ本を何度も読み返したり、身に付けている技術を改めて基礎からやってみるといったことでも同じことである。

もう一度、原点に戻ることで今まで気づかなかったことを発見することができ、さらに自分を成長させることができるようになる。

 

だから、「知っているから」と言って、内容をないがしろにせず、「もっと何か吸収できることはないかな?」と好奇心を持ってその情報を見ることができれば、より自分を成長させられると思う。

仮に、何も新たな発見がなくとも、知識をさらに定着させることができるし、技術であればより磨きをかけることができる。

 

知っている内容でも、知識の定着と新たな発見を求めて、好奇心を持って積極的に取り入れる習慣を身に付けようと思う。

集中するという意識

歯磨きをしているときに気づいたことがある。

「オレ・・・集中力なくね?」って。

 

なぜ、そう思うのか。

 

それは、歯磨きに集中せずに「俺って集中力ないのかなぁ」って考えていたからだ。

 

思い返してみると、結構色んなことをしているときにも、別の余計なことを考えながらやっていたりする。

例えば、ご飯を食べるときにテレビを見るとか、

帰り道を歩いているときに嫌なことを思い出してイライラするとか、

寝るときに余計なことを考えて寝付けなくなるとか・・・。

 

そんな感じで、日常生活を送るにあたって、集中して物事に取り組んでいないことがよくわかった。

 

これの何がよくないのかというと、本当に集中しなければいけないときに「余計なことを考える癖」が出てしまうことだ。

言い換えると、普段の生活で「余計なことを考える癖がついてしまうこと」が問題であるとも言える。

 

以前に「マルチタスクは集中できない」という記事を書いたが、まさにそれと同じことが起こっている。

歯磨きをしている最中に、「集中力ないなぁ」と考えるのはマルチタスクになっているのと同じなのだ。

 

マルチタスクは、生産性が下がってしまう。

作業スピードが落ちたり、物事の優先順位がつけられなくなったり、新しいタスクを優先させてしまったりするため、仕事の生産性が下がってしまうのである。

そして、仕事が終わらなかったことに対するストレスが残り、体を休める時間を削って仕事をしたり、手っ取り早くストレスを発散できるスマホやテレビをダラダラ見て夜更かししてしまい、寝不足になったり、体も心も十分に回復しないまま仕事に出かけて、またストレスを抱え込む、といった悪循環に陥ってしまう。

 

こうならないようにするためにも、普段から「1つに集中する」という癖を意識していく必要がある。

 

歯磨きなら歯を磨くことに集中して、虫歯対策はもちろん食べ残しやプラークをしっかりと取ることに専念する方がいいと思う。

長い目で見れば、健康な歯をいつまでもキープできる方がいいし、そうすれば歯医者に行く時間も労力もお金もかからないから、それだけ自分が楽しいと思える時間に人生を費やすことができる。

 

だから、「集中するという意識」をもって日常生活を送る癖をつけようと思う。

 

ご飯を食べているとき、食器を洗っているとき、お風呂に入っているとき、ショッピングで買い物に出かけているとき、寝るときなどなど・・・

これらのように特に集中しなくてもなんとかなるものほど、その合間に余計なことを考えてしまう傾向が高くなる。

こういった場面で、集中する癖を意識的に持つことができるようになれば、本当に集中しないといけない場面で、さらに集中力を発揮できるようになる。

 

それは、自分の夢や目標を叶える時間に集中しているのだから、

夢や目標を叶えることができるようになるのだと思う。

ケチると損をするときがある

なダメージは去年に解約しようと思っていたことを忘れてしまい、今年になって解約したら中途解約金を取られた。

正確には、年間のサブスクリプション契約だったため、1年たたないうちに解約してしまったので中途解約金がかかってしまった。

 

「1年間待てばよかったのでは?」と思うかもしれないが、支払い自体は月々なので1年間待つと余計に金額が増すのため、思い切って解約した。

 

中途解約金がかかったことを愚痴りたいのではなく、解約金をケチったため、結果的に「損をした気分になってしまった」と言いたいのである。

 

解約を決めたのは去年の10月頃からで、「あと2か月待てば解約金かからないから待つか!」と、解約金をケチってしまったのが大きな失敗だった。

気持ちの問題なのだが、去年に解約金がかかったとしても解約しているのと、解約するのを忘れて解約金を払って解約するのとでは、精神的なダメージは後者の方が大きくなる。

 

同じ払うにしても、タイミング次第では心に受けるダメージの量が違うのである。

 

「安物買いの銭失い」という言葉があるように、あまりにケチっていると、金銭的にもそうだが、精神的にも損をしてしまうのである。

自分がしっかりと満足して、納得してお金を払うことが、余計なストレスを抱え込まないで済む方法なのかもしれない。

 

例えて言うなら税金がそうだ。

所得税とか年金や保険料は、給料から勝手に容赦なく引かれて、強制的に納得させられてしまっているが、心の中では「高いな。もっと安くならないのかな?そもそも払わないといけないのか?」と思ったことはないだろうか?

 

まさにその現象と同じで、ケチろうとしたが故に、結局は納得ができない形で解約金を支払うことになってしまった。

そして、損をした気分になり、ストレスだけが残ってよくない状態になってしまう。

 

こうならないように、メモを机の前に貼っておいたり、グーグルのカレンダーでスケジュールをあらかじめ組んでおいてアラームで知らせるようにしておく、などの工夫をしておく必要がある。

重要なことになればなるほど、そのちょっとした手間だけで、大きなリターンとなることが多いから、手間を惜しんで損をするぐらいなら、メモだらけの壁を毎日眺めてもいいんじゃないかと思う。

「できない」と思っているからできない

ある人が、「できないと思っていると、できない人間になるんですよ」と言っていた。

なるほど!と思い、まさにその通りだと確信した。

 

大きな夢や願望、目標や野望といったものが人それぞれにはある。

しかし、ほとんどの人は半ばで諦めてしまう。

「僕にはできないから」と自分で出来ないと決めつけて、行動しないからだ!

 

そして、その時の言い訳は

「周りの人がやめとけって言ったから」とか

「親が反対するから」とか

「もっと時間とお金があったらやってたのになぁ」とか

「僕には才能がないんだ」とか・・・・

そんなもっともらしいことを言って、諦めたことを正当化している。

 

このことをよく考えてみると、

結局は「自分自身で出来ないという鎖をつないでしまっている」のだ!

 

普段の行動をよく思い出してみると、例えば、お寿司が食べたいと思えば寿司屋さんに行くし、肉が食べたいと思ったらスーパーで肉を買ったり焼肉屋さんに行ったりする。

本が読みたいと思えば本屋さんに行くし、そこで手に入らなければネットで注文したりもする。

恋人がほしいと思ったら合コンや婚活パーティーに行くこともあるだろう。

 

そんな風に、僕たちは普段からやりたいと思ったことを何かしら必ずやっている。

それが大きいか小さいかの問題で、行為自体は同じだ!

 

例えば、企業したい!と思い、1000万の資金が必要なとき、手元に無ければ借りるしかないが、そこで「返せなかったらどうしよう」「もし失敗したら・・・」と、そんなネガティブな事を考えて尻込みするから、結局は「とりあえず安定した現状」に甘んじてしまうのである。

「返せなかったら・・・」と考えるから「成功させる」努力をしなくなる。

常に「成功させるためには何をすればいいのか?」だけを考えるようにしなければ、成功にはたどり着けないのである。

 

そして、「自分にはできない」と思っている間は「できるようになる努力」をしない。

だから「できない!」

ただ、これだけのことである。

 

自転車に乗れるようになった時のことを思い出してほしい。

最初はこけてばかりだったが、練習を重ねるうちに乗れるようになったはずだ。

車やバイクの運転もそうだし、今持っている資格や経歴も、それを「取りたい!」と思ったから努力し、勉強し、練習してきたのではないか。

 

「自分には免許なんか取れない」と思って免許を取りに行った人はいないだろう。

「車に乗れるようになったら、どこ行こうかな~」と、そんなことばかり考えて、無意識に自信を持って免許のテストに挑戦していたはずだ。

 

つまり、「できない」とブレーキをかけているのは自分自身で、「自分にはできる」と自信を持っているならば、行動もそれに伴ってくる。

「自分にはできる」と思うだけで、頭の中に「あれやって、こうやって、こうやったら上手くいくんじゃないかな?」という考えがよぎってこないだろうか?

よぎったなら、

あとはそれを「できる」と思っていれば「明日やってみよう」みたいに行動に移すし、

「できない」と思ったら行動には移さないのが自分でわかると思う。

 

やりたいことがあるなら「できない」っていうのは捨てて、

「自分にはできる」と思い続けるようにしよう。