セイケン~自分を成長させるための研究レポート~

今よりも1歩だけ成長していくために行ったことを記録しています

経験はもろ刃の剣

興味本位で見た画像が頭から離れない。

それはグロテスクな画像ではなかったが、

人が痛い目に遭っているようなそんな画像だった。

たまたま調べ物でネットを漁っているときに、つい見てしまったその画像のことがどうも頭の中からなかなか離れてくれない。

僕にとってその画像は生理的に受け付けれるものでは無かったためか、嫌な気持ちだけが後を引いて、ちょっとしたときに思い出しては気分が悪くなってしまう。

 

経験が必ずしもプラスになるとは限らない

よく聞く言葉で、「何事も経験することが大切」というのがある。

子供の頃や学生の時には、親や先生からそんな言葉で丸め込まれたものだ。

 

今になってその言葉に疑問を覚えるようになった。

「本当に経験することがそんなに大切なのか?」と。

 

たしかに、全く何も経験しないのは自分の成長を止めてしまう行為なのでよくないが、ここで言いたいのは、「自分が嫌だと思っていることを無理に経験する必要があるのか?ということだ。

 

例えば、「高いところが苦手」だとする。

しかし、他人に進められてバンジージャンプをすることになってしまった場合、無理やりバンジーをする必要があるのかということ。

ここで無理に飛んだところで、その先に何が待っているというのか。

 

自分自身で決めて、自らの意思でバンジーを飛ぶのならその経験は間違いなくプラスになるだろうが、他人から無理やり嫌なバンジーをさせられても、楽しくもなんともないし、恐怖と嫌悪感しか残らないのではないだろうか。

 

そんな思いをしても、無理にでも経験することが大切だと本当に言えるのか疑問なところである。

 

その経験を活かすなら工夫が必要

つまりはとらえ方次第なのだが、ネガティブな経験をどのようにプラスに変えるのかということだ。

先ほどのバンジージャンプを例に考えてみると、他人から無理やり嫌なバンジーをさせられた場合、あとに残るのは恐怖心と嫌な思い出だけだと思う。

 

仮にこの経験をどう活かすか考えてみると、

・2度とバンジージャンプはしない

・この人からの誘いは断るようにする

バンジージャンプの安全性について調べてみる

バンジージャンプよりも面白いものを提案してみる

などといった具合に試行錯誤すると、バンジージャンプという嫌な経験を自分の糧にすることができるようになる。

 

つまり、嫌な経験をしたとしても、「何が嫌なのか」「解決策はあるのか」「これからどうするのか」といった具合に思考を巡らせることができれば、嫌な経験が嫌なままで無くなってくる。

 

嫌な経験を、ただ感情のままに放置すると、嫌悪感や劣等感だけが残ってしまうので、そういった経験しかできないのなら経験しない方がましだと思う。

 

物事を多方面から考える力を身に付ける

「何事も経験することが大切」というのを本当に大切にするならば、経験するだけじゃなく、「その経験をどう活かすのか」までしっかりと考え、試していかなければならない。

自分にとってベストな答えというのは、自分でしかわからない。

他人が好きなことが、自分にとってはとてつもなく嫌なことが世の中には溢れている。

その中で、良い経験も悪い経験も生きていればたくさんするだろう。

そんな時に、ただ感情のままに思うのではなく、「どうすれば自分にとってプラスにできることがあるかな?」と思考を常に巡らせる習慣をつける必要がある。

 

そうすればどんな経験も自分を1歩ずつ成長させてくれるものにできるはずだ。

 

ただありのままを受け入れるだけでは、自分の望む人生は手に入らない。